北の生活文化(春から夏にかけての行事 )

 

 

北の生活文化(春から夏にかけての行事 )


 

 
春から夏にかけての行事
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79. ひな人形(伊達市) 80. 初節句(左:平成8年、右:昭和58年ともに札幌市)
 2月3日の「節分」には、家々では邪気を払う豆まきを、神社では厄年(やくどし)の人々を集めて厄払いを行う。節分の豆には呪力があると信じられ、「年の数だけ食べる」「初雷(かみなり)の日にまく」などと言い伝えられている。道南地域ではこの日、豊漁を願って豆占いが盛んに行われた。

 3月3日は女の子の健やかな成長と幸せを願って、「ひなまつり」を行う。戦前は旧暦で行う地域も多く、ひな人形を描いた掛け図や押し絵の掛け軸を掛け、甘酒、餅、炒り菓子などを作って祝った。現在のように豪華な内裏(だいり)びなを飾るようになるのは、昭和40年代後半からである。

 5月5日は「端午(たんご)の節句」である。3月3日の女の子の節句に対して男の子の節句といわれ、男の子のいる家では鯉幟(こいのぼ)りや旗幟りを立てて、その成長を祝う。男の子の初節句に、昭和10年代ころは嫁の生家から婚家(こんけ)先に和紙の鯉幟りが贈られた。昭和40年代からは、一般家庭でも初節句の祝いに現代のような鯉幟りをたてるようになった。また、四国出身者には、武者(むしゃ)人形や、夫方や妻方の家紋を染め抜いた旗幟りを嫁の生家から婚家先へ贈る習わしがみられる。
 
盆前後の行事
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81. 七夕・昭和27年(苫前町) 82. 盆踊り
 7月に入ると、内陸部の四国や兵庫県出身者は「ハンゲ(半夏生、はんげしょう)」を祝う。ハンゲハゲアガリ、ハンゲ半作と言い伝え、この日を播種(はんしゅ)の区切りとし、ボタモチや麦まんじゅうなどを作って農作業を休む。

 盆行事は、函館、名寄、根室などでは7月に、ほかの多くの地域は8月に行う。「七日盆」(なのかぼん)に墓掃除を行い、13日には家の前に盆棚(ぼんだな)※1を作り、麦殻や燕麦(えんばく)殻を焚いて祖霊を迎えた。道南地域では「盆の13日ホゲする晩だ、あずき、コワメシ、豆モヤシ」と歌われたように、オコワ、トコロテン、キュウリとナスの馬ッコ※2、この季節に作るコーレン※3を盆棚や仏壇、墓に飾り、墓参りにはアラレと呼ぶ洗い米を持参する。盆踊りは、戦前から前後にかけてはどの地域でも、老若男女が繰り出して盛んに行われた。

 盆と同じ時期に、子供たちの「七夕飾り」や「ローソクもらい」が行われる。ローソクもらいは、缶トウロウや提灯を手にした学齢前から低学年の子供たちが集まって、はやし唄を歌いながらローソクを集める行事である。地域によって異なるが、全道的に「ローソク出せ、出せよ、出さないとひっかくぞ、おまけにカッチャクぞ」と歌われる。ローソクもらいは、青森の子供ねぶたや「虫送り」など伝統的社会の行事に由来し、道内に広くみられる、子供の特徴ある行事だ。

※1 祖霊を迎えるために供えものを並べる小机や台
※2 ナスやキュウリに割りばしで4本の足をつけたもの
※3 米の粉でひらたく円形状に作ったものに糸を通して数珠のようにしたもの。盆棚や仏壇に飾る
 
夏そして秋から冬にかけての行事
 
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83. 金刀比羅神社(根室市) 84. きりん獅子舞(釧路市鳥取神社)
 北海道の夏は短い。盆が終わると秋は駆け足でやってくる。夏まつりはそうした人々の気持ちの発露として生まれたといわれる。根室市の金刀比羅(ことひら)神社例祭は、昆布漁の最盛期の8月9~11日に行われ、市内沿道には所狭しと露天が並ぶ。重さ1.2トンの神輿(みこし)を120人の男たちが担ぎ、各町内や企業からは山車(だし)と踊り手が繰り出し、道東最大のまつりとなっている。

 9月15日前後の秋まつりは、作物の収穫時期と重なる。稲作地帯では稲刈りが、畑作地帯では麦、豆、イモと穫り入れが続き、まつりに奉納される母村の「獅子舞」や地域の芸能太鼓などを畑から眺めることも多いという。道外の伝統的社会では10月半ばの収穫後に秋まつりを行うが、そのころの北海道はもう冷たい風が吹き、家々の行事は少ない。

 旧暦8月15日の「十五夜」は、月を愛(め)でるよりも、その月明かりを頼りに夜半まで刈り取りに精を出したという。その中で鳥取県出身者は、母村と同じく、星や浮き輪型の団子を入れた汁粉や味噌汁を作り、豊作占いをして祝った。道南地域では、月に供える団子を男が作る習わしがあり、旧暦9月9、19、29日を「ハデの節句」と呼んでボタモチや餅を作って、一年の最後の節句を祝った。内陸部の近畿・中国出身者には、旧暦10月の亥の日をイノコ(亥の子)サンと称して母村と同じくボタモチを供えて、収穫感謝祭と農作業の締めくくりとする儀礼が現在も伝わっている。

※ 春に来て、秋になると帰るとして、イノコの神を田の神とした
 
冬至とダイシ講、クリスマス
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85. クリスマス 86. 宣教師ビアソンの元住宅(ビアソン記念館・北見市)
 一年中で太陽が最も南にあり、日中の時間が一番短くなる日が冬至(とうじ)である。それは12月22、23日ごろにあたる。北海道では午後3時を過ぎると薄暗く、気温もぐっと下がり、人々は外套(がいとう)に首をすくめて足早に往来する。この日、「冬至にカボチャを食べると中風(ちゅうぶ(う))にならない」といって、カボチャを食べる習わしが道内各地に広がっている。全国的には柚子湯(ゆずゆ)に入る習わしがあるが、柚子の採れない北海道ではほとんどない。

 冬至と前後して、道南地域では「ダイシ講」が行われた。目が不自由で子だくさんだったと伝えられる神(ダイシ様)に、小豆粥(あずきがゆ)と茅(かや)の長い箸を供えて家々で祝う。

 北海道は幕末に箱館港が開かれ、開拓使時代に「お雇い外国人」を受け入れた歴史をもち、札幌・函館をはじめ各地に多くの教会がある。こうした町では、古くからクリスマスには信者でなくとも、厳粛に行われるミサ礼拝に行く人も少なくなかった。昭和20年代後半からは、全道的に学校や家庭でクリスマスツリーやクリスマスケーキが取り入れられるようになった。また、昭和30~40年代のクリスマスには、会社帰りの父親が寄るの繁華街に繰り出す姿が多くみられた。現代では、家庭や友人、知人で楽しむ一日として、正月に次いで多くの人が行う行事である。

※ 脳出血後、手・足・半身がまひする病気。または風邪をひくこと。
 
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