北の生活文化(和人伝説とアイヌの人々 )

 

 

北の生活文化(和人伝説とアイヌの人々 )


 

 
和人伝説とアイヌの人々
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94. 江差の繁次郎像(江差町) 95. 義経神社(平取町) 96. 義経神社の御神像(平取町)
 北海道の和人伝説には、移住の歴史に絡んで和人がアイヌ民族に対し罪の意識を感じていたと思わせるものがある。「矢越岬(やごしみさき)の人身御供(ひとみごくう)」では、海神(かいじん)の怒りを解くために和人によって海に沈められたアイヌの女性たちの怨念が語られ、さらにこの事件が契機でアイヌの抵抗が起こり、人身御供を挙行した相原季胤(あいはら すえたね)一族が滅びたという話を生んだ。話自体は虚構だが、アイヌの女性に死をもたらした和人が罰せられる結末は、和人伝説でありながらアイヌ側の視点からとらえられている。

 また、和人伝説には義経伝説(入夷(にゅうい)伝説)があるが、これは江戸時代、蝦夷地の管理に本格的に乗り出した幕府によってアイヌを隷属させる道具として積極的に活用された。源義経は平家を討伐した英雄であり、兄・源頼朝のために戦ったにもかかわらず、兄に殺される悲劇の英雄として庶民に人気がある。その義経が奥州の衣川(ころもがわ)で死んではおらず、蝦夷地に渡ったと語られたのが義経伝説だ。幕府は、この義経がアイヌの英雄神オキクルミである、もしくはオキクルミに相当すると触れ込み、義経入夷伝説をアイヌの統括の手段として巧妙に利用した。平取町(びらとり)には、アイヌの人々に義経を崇拝させるために建てられた義経神社が今も残っている。
 
民俗資料としての世間話
 
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97. 開墾壁画(木村捷司・作)
 
 世間話とは日常生活の珍しい話やうわさ話の類をいう。それらは時代を超えて人々の生活や考え方などを伝える貴重な民俗資料だ。そういう世間話がいま北海道で盛んに採集されている。

 明治33年(1900)生まれの人の話に、北海道へ移住したころの生活を語ったものがある。広島県出身の士族だった父親が明治維新で家禄を失うと、百姓をする土地もないので明治11年(1878)、同じ故郷の人17戸と北海道に移住。家は周りをヨシで囲い、戸口にムシロ一枚を吊るしただけで、土間に草を敷き、その上にムシロを敷いて寝ていたという。武家育ちの祖母は、凶作で何も食べるものがないときに、「羽根があったら故郷へ飛んで帰れるものを」と話していたという。

 明治38年(1905)生まれの人が語る昔の結婚条件の話からは、当時の世相を垣間見ることができる。女性には顔の器量よりも安産型の体形、日常の素行・行いが求められ、男性は働き者であること、姑、小姑の有無、性格が問われたという。当時はほとんどが見合い結婚で、本人同士よりも家同士の結びつきが重視され、結婚を決めるまでに相手の家系の出身地、職業、財産、信仰する宗教を徹底的に調査した。中には結婚相手を式当日まで見たことがなかった人もいたという。
 
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