北の縄文 - 遺跡紹介:鷲ノ木遺跡

 

 

北の縄文 - 遺跡紹介:鷲ノ木遺跡


 

 

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■遺跡の概要
 
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▲遺跡の全景 
(西側上空から、平成23年秋)

 森町 鷲ノ木 ( わしのき ) 遺跡(旧称 鷲ノ木5遺跡)は、明治元(1868)年に榎本武揚ら幕府脱走軍が上陸したことで有名な鷲ノ木海岸から(かつら) 川の谷を1kmあまりさかのぼった谷の北側の高台にあり、南に小さな沢を挟んで鷲ノ木4遺跡を見下ろす位置にあります。

 平成15(2003)年、北海道縦貫自動車道建設のために森町教育委員会が実施した発掘調査により、縄文時代後期前半(約4,000年前)の環状列石(かんじょうれっせき )ストーン・サークル)が完全な形で発見されました。

 この貴重な遺構の消失を防ぐため、平成18(2006)年1月に環状列石周囲の高速道路用地約2,700平方メートルが国の史跡に指定され、その後この部分の高速道路をトンネル化して遺構の現地保存が行われました。

 その後、町教育委員会は高速道路に接する土地でも遺跡の分布状態を調査し、その成果に基づいて平成23年6月に約8haの土地を史跡に追加するよう、国の文化審議会から文部科学大臣に答申されており、近く追加指定が実現する見込みです。

 
■特徴的な遺構
 

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▲環状列石
 (平成15年の発見直後)

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墓と思われる遺構 (追加指定予定地)

 約37×34mの規模をもつ鷲ノ木遺跡の環状列石は、これまで道内で知られているものとしては最大で、また1640年の駒ケ岳噴火で厚い火山灰層に覆われたためその後の開発等から守られて保存状態も良好です。

 標高70mほどの丘の上が平坦に整地され、中央に長さ4mほどの楕円形に石を並べた「中央配石(はいせき)」があり、そこから15mほど離れて二重に石がめぐらしてあります(「内環(ないかん)」と「外環(がいかん)」)。使われた石は合計約600個で、適当な大きさの石が得られる桂川の河口近くから運んできたと考えられます。

 また、環状列石の周囲には「竪穴墓域(たてあなぼいき)」と呼ばれる埋葬のための区画がこれまでに2つ発見されており、さらに今回追加指定される見込みの土地からは、縄文時代後期の住居跡や墓と思われるものがみつかっています。

 こうした各種の遺構から、環状列石を中心として展開された当時の埋葬や儀式の模様が、今後の研究を通じて明らかになると思われます。

 さらに鷲ノ木遺跡は、特別史跡大湯(おおゆ)環状列石(鹿角市)や史跡小牧野(こまきの)遺跡(青森市)など東北地方北部の環状列石と、史跡音江(おとえ)環状列石(深川市)や史跡忍路環状列石(おしょろ         )(小樽市)などに代表される道央地方の環状列石群の間にあって、縄文時代の北日本における文化の交流を証拠だてる遺跡としても、今後重視されるでしょう。

 
■主な遺物
 

 史跡の範囲は環状列石が発見された時点(縄文時代の地表付近)で発掘を停止しているので、それほど多くの遺物は発見されていません。

 しかし、高速道路建設の際に発掘を行った史跡南側の斜面では、縄文中期・後期を中心に多数の遺物が出土しており、なかでも縄文中期前半(約5,000年前)の土偶(どぐう)は、断片ではありますが元来は三内丸山遺跡出土の有名な土偶より大きく、この種の板状の土偶としては最大級のものと思われます。

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▲縄文中期前半の土偶 
(現存高さ約34cm)
 
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