吉田 菊太郎

吉田 菊太郎

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アイヌ文化保存の功労者吉田 菊太郎(よしだ きくたろう)

生没年:1896年~1965年 / チロットコタン(現 北海道幕別町)

吉田菊太郎はアイヌ民族の生活向上と和人化のために活動し、戦後はアイヌ文化の保存を生涯の仕事として努力されました。チロットコタンの生活、納税、教育、農業の指導者であり、幕別の議会議員(村議二期8年、戦後の町議二期8年)、方面委員(民生委員)、農業の功労者です。また、早くから自らアイヌ民族の伝統的な生活文化も保存やアイヌ民族を正しく理解してもらう活動につとめ、1959(昭和34)年には周囲の協力も得て「蝦夷文化考古館」を設立するなど、十勝アイヌの指導者であり、アイヌ民族の生活向上やアイヌ文化保存の功労者でもあります。

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幕別町蝦夷文化考古館 ※R5.3.31閉館

白人コタンのアイヌの指導者であった故吉田菊太郎氏が1940(昭和15)年1月に北海道アイヌ文化保存協会(会長)を組織して以来、先祖の残した文化財が散逸するのを恐れて、文化財を収集してきました。これらの文化財を陳列・保存するためにこの館は、故吉田菊太郎氏が各市町村、各関係団体、各個人に協力を依頼し、管内・道内をはじめ、遠く東京方面にまで寄付等の協力を仰ぎ、総工費200万円で建設されました。館内に陳列されているのは、刀、矢、矢筒、弓、盃、酒桶、着物等の生活用品、宝物、写真、書類等貴重な物ばかりです。1965(昭和40)年に吉田菊太郎氏が亡くなられ、ご遺族が故人の意志を尊重し、41年(1966)に建物並びに収蔵品すべてを町に寄付されました。

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