北の生活文化(アイヌの人々の家族構成 )

 

 

北の生活文化(アイヌの人々の家族構成 )


 

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 人は結婚を通して夫婦・親子関係を形成する。アイヌ社会は個人を単位に、性差に基づく労働の役割分担を伴う平等な社会であり、父系・母系をたどって伝承する文化をもっていた。和人社会の親族組織は、広大な未墾地を開墾して自作農への転換が図られたため、個別的なイエを単位として機能し、伝統的社会のような親族構造は形成されなかった。
 
アイヌの人々の家族構成
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42. 祭壇で祈る男性 43.家を焼く
 アイヌ民族の家族は、一つの家屋に一組の夫婦と子供たちが住み、子が成長するにつれ、新たに家を建てて分かれていくことが多かった。かつては、娘が婚期に達すると、地続きに小さな家を造って一人住まいをさせ、求婚に訪れる青年の中から両方の気の合う者を選んで婚姻が成立するという習慣もあった。この場合、青年がそのまま残ることもあるし、娘の家の仕事をある期間手伝った後、娘を連れて自分の家に帰ることもあった。長男は両親の家の近くに新しい家を造り、両親の面倒を見ると共に父系の財産を継いだ。妻が死ぬとその家を焼き、夫は再婚するまで近親の家などに住んで家を持たなかった。そのことから、妻を失った男を「家のない男」といった。

 アイヌ民族を構成する単位は個人ある。夫婦関係にしても、一方の死や離婚によってその関係は消滅する。親子の関係は、父と息子、母と娘の関係が強調されている。同じ両親から生まれた兄弟姉妹関係においてもアイヌの人々は男女の区別が強く、兄弟と姉妹との関係は分離され、兄弟同士、姉妹同士の関係が強調される。その関係は子や孫にまで適応され、親族の結合の基礎をなした。そのため、男女を含む家族や氏族のような社会集団を単位とする名称は存在していない。
 
アイヌの人々の一生
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44. 女児の砂遊び、衣服の文様を習う様子 45. 耳環、入れ墨をした女性・明治初期
 アイヌの人々は、人が生まれるということを魂に肉体が宿ることだと考える。そして誕生直後の魂は、弱々しく抜けやすいため大切に扱われる。肉体に魂が入るとき、その子のつき神も誕生すると信じられ、終生共に過ごすことになる。つき神にもいろいろあるが、良いことも悪い予感もまず、つき神が察知する。胸騒ぎは何事か起こりそうだと、つき神が告げるものだと考えたので、人々はそんなとき、適切な助言を求めて祈った。

 男子が成人になると、父方の系統を表すエカイトパ(祖印)の刻み方とその扱い方を父または祖父から教えられた。そのとき、大本(おおもと)の先祖が何であるか、そのいわれも初めて明らかにされたという。

 女性にはヌマッ(胸紐)という、夫のほかには手をふれさせない特別なものがあった。少女から大人の女性へと成長するころ、膨らみ始めた胸元を気にして、よく胸元のヌマッに自然と手が伸びたという。大切な針を胸紐に挿しその上を木筒で覆ってチポ(針入れ)とすることもあった。針は女にとって貴重品だった。例えば、それは火の神が「針穴を通して夫の行方を探ってみると、夫は水の女神のところに行っていた」と針を用いて巫術(ふじゅつ)を行い、夫を取り戻す物語があるほどである。
 
和人社会の親族と同族
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46. 屯田兵一族・昭和17年(上湧別町) 47. 葬儀・大正12年(札幌市菊水)
 北海道の家族や親族、同族のベースは、移住者の3分の2を占める東北・北陸地方にある。しかし、本州のような伝統的社会にみられる総本家を頂点とする世代を超えた本・分家関係と、地主・小作関係とが重奏するような二重構造は、北海道において形成されなかった。

 彼らは移住と共に開拓にいそしんだが、最初から適地を探し当てた人は少なく、道内移住を繰り返しながら、家族生活の安定を求めた。当初の結婚には同じ国衆やイトコ婚も多く見られる。

 広大な未墾地が展開する北海道においては、自作農への転換が容易であったことから、親族・同族組織は系譜上2、3世代の本家、分家に限られ、伝統的社会のような強固な構造は形成されなかった。その要因としては、戦後の農地改革や工業化における社会変化、それに伴う人口の一層の流動化があげられる。

 とはいえ、婚姻の席次や葬儀の香典順では妻方・夫方にかかわらず夫が常に優先し、伝統的社会と同様な点も認められる。
 北海道の親族・同族の構造は、個別的にイエを単位として、父方親族にやや片寄りをもちながら、父方・母方が平等に機能しているのが特徴といえる。
 
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