Ⅲ. 「自分の力を試してみたい」

人生のあゆみ              

牛を無駄にしないために       

実家は酪農家で、幼少期から牛舎に行き、朝晩の作業の手伝いをしていていつも酪農が身近にあった。その時は、跡を継ごうとは思っていなかったが、地元の高校に進学し、ラグビーにも励んだ後、農業系大学へ進学した。

大学では、酪農の農業経済学科を専攻したが、その理由は将来、就農しなくても別の就職先にいけるようにという考えだった。

しかし、ニュージーランドの管理放牧に詳しい教授がいらして、酪農の放牧は、とても管理された飼養形態なんだと学ぶにつれ、酪農がおもしろいと感じ、その時に将来、酪農を仕事にしてみたいと思った。

在学中は、勉強をしていく中で、地域の特性に合った酪農をしなければ継続的な営農はできないし、ただ牛を飼育するだけでは経営ではない。そんなことを思いながら、常に実家の牧場を客観的に見ていた。本当に実家の経営のやり方が正しいのだろうか。もっと良い経営方法はないのか。その考えは今でも同じで、色々なことを考えながら、日々取り組んでいる。

ドリーミーファームでは、の代からのつなぎ牛舎(千葉牧場)新設したフリーストール牛舎で乳牛を飼養するほか、地域の酪農家とともに、TMRセンターの運営にも携わっている。

千葉牧場ではパイプラインで搾乳、新設の牛舎ではパーラーとロボットで搾乳している。1つの搾乳方法だと、牧場に合わない牛は、市場へ売る牛になってしまうのだが、2つの牧場の異なる機能を活かすことで、牛をフルに使うことができる。牛を無駄にしないためにはどうしたらいいか、適切な飼養方法は何かを考え、指導農業士である父に相談しながら、作り上げたスタイルだ。

 就農時から、親から独立して、自分の力を試してみたかったので、親がやってきたこと(固定概念)が本当に正しいのかも考え、常に創意工夫しながら、牧場の運営にあたっている。

 

若い人がやりたい酪農の姿        

ドリーミーファームは、フリーストール牛舎に搾乳ロボット、餌寄せロボット、監視カメラ等のICTをフルに取り入れている。

搾乳ロボットは、飼養頭数を増やしても効率良く作業ができて、余暇時間を作りたかったのが、導入のきっかけ。導入してから3~4年目で、週1回の休みを取れるまでになって、子供と遊ぶ時間もできた。また、監視カメラを設置したことで、家でも現場と同じ感覚で牛を観察できるようになり、全体に余裕が出てきた。

空いた時間で、週2~3回程度、地元のサウナを利用し、心身ともにリフレッシュするなど自身のケアにも気を使っている。こういう時間はすごく大事。

今後はこういった農作業をしたらうまくいくかなと考えるようにもなった。常に新しいことを考えながら、変化を求めていきたい。

サラリーマンも同じだと思うが、本人の意志がしっかりしていないとダメだと思う。

昔の酪農は、365日働かなければならなかったけど、今は違う。若い人がやりたいと思う酪農でなければならない。だから、今の時代にあった酪農を自分たちが考え、見せていくことが大切だと思っている。

うちでは今のところ、3代目となる後継者のことは考えていない。子供たちがやってみたいと思うなら、やればいいし、子供たちの考えに委ねたい。子供たちに作業を手伝わせることもしないし、自然体でいてくれればいい。

 規模拡大に伴う労働力は、地域内ではなかなか見つからず、外国人技能実習生に来てもらっている。実習生に話を聞くと、頑張って働いたお金は、母国で家を建てる資金にあてるらしい。だからこそ、実習生は真面目だし、一生懸命学んでいる。また驚いたのは、実習生のSNSの発信力。母国の家族や友人とのつながりが強いので、母国で標津町の酪農を発信されても、ここの牧場は、いいところだねと言われるように心掛けたい。

酪農家を支えるTMRセンター      

祥一さんは、父が代表を務めるTMRセンター[酪縁・緑]の飼料部門の部長も担っている。このセンターは、7戸で構成され、各農家に合った配合飼料を牧場まで届けており、個々の経営を継続もしていける要素もある。

 それぞれの農家の飼養形態が異なるため、微妙な配合が求められることから、飼料設計に当たっては、農家や普及センターの意見も取り入れながら行っている。時には現場まで行き、なぜ今の飼料が合わないのか、飼養形態を細かくチェックし、徹底的に分析している。こうした活動の結果、構成員の出荷量が増える等、センターが個々の経営に貢献している。

 

酪農をやりたい職業に          

本来こんなことをやりたいのではなかったと後悔するようでは、うまくはいかないよ夢や希望だけでは、酪農はできない。

就農した時は、休む時間が無い、寝る時間も少なかった。学生時代に思い描いていた理想と現実はまったく違ったもので、これが、父の姿から見ていた酪農だったのか、こんな作業もあるのかと。

実際に現場に出てみて、技術以外で大変なことは体力だった。自分自身、高校時代にラクビーで培った経験もあって、体力には自信があると思っていたが、就農当時は、腰を痛めることもあり、痛めても仕事を続けなければならない、風邪を引いても休めることはなかった

現在では、酪農ヘルパー制度により、サラリーマンと同等の福利厚生ができていると感じる。搾乳ロボットを導入したことで、休みが取れやすい環境につながったし、次の世代に合った職場環境を作っていくことを意識しながら、色々な方法を考えていきたい。

 酪農という職業が、将来、隣の芝生は青いよねと言われるような産業にしたいし、みんながやりたいと思える職業にしていきたい。

 

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