北海道立文書館所蔵資料案内~私文書 北部軍司令部文書

分類記号:B0-161

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1 私文書群の作成者に関する情報

当該文書の記述時期は概ね1941(昭和16)年7月7日から1945(昭和20)年2月11日迄となるが、その間の北部軍司令部及びその後継組織の変遷は次のとおりである。

北部軍は、1940(昭和15)年7月10日に設置されることとなり、同年12月2日、豊平町月寒にて編成が完了した。同軍司令部の管轄区域は、旭川師管区(北海道と南樺太)と弘前師管区(青森・秋田・山形・岩手各県)で、管下部隊としては、第七師団、第五七師団を統括し、その後、樺太混成旅団、第六七独立歩兵団、函館重砲兵連隊、電信第四連隊、津軽要塞司令部、北千島要塞司令部、上敷香・札幌・青森・盛岡各陸軍病院、歩兵第二五連隊、樺太山砲兵連隊、樺太工兵隊、歩兵第一二五連隊が軍直轄となった。その任務は管区内隷下の諸部隊の動員、教育、防衛であった。従前、北海道は第七師団が置かれ、沿岸防御と警備を主体とした防衛がなされていたが、満州事変以後、航空機と航空爆撃が作戦上重要な役割を果たすようになってきたことから、新たな「防空」に対応するため北部軍司令部が置かれることとなった。

1943(昭和18)年2月5日北部軍司令部に、防衛面だけでなく作戦軍としての性格を持たせるため、北方軍司令部臨時編成が下令され、同月11日に編成を完了した。戦争体制下の北方軍は、作戦軍としての性格を持って北方方面の攻勢を担い、防衛等に関する「内地軍」としての性格を持っていた北部軍司令官の任務も継承したこととなる。管下部隊は、北部軍管下部隊の他に北海守備隊、第一飛行師団、北方船舶隊であった。

1944(昭和19)年2月18日、米軍の千島侵攻に対する防備の増強に伴い、北東方面の各部隊を統帥するため北方軍司令部を第五方面軍司令部とする発令がなされた。これにともない東北4県は管轄から離れ、北海道、樺太、千島に限定した作戦司令部となった。第五方面軍司令部は、千島方面の作戦に専念する第二七軍(司令部は札幌、後に択捉島天寧)を統率し、米軍の侵攻及びソ連の動向に対する防衛及び作戦準備、北海道の防衛等北東地域全般の作戦を担任した。

1945(昭和20)年1月22日に大本営は本土決戦準備のため作戦と軍政両面を併有していた内地各軍を改編し、作戦を担当する方面軍と軍政を担当する軍管区司令部を編成した結果、北海道には第五方面軍と北部軍管区司令部が設けられた。

当該文書の作成者は、原蔵者松田鶴彦氏の父、故松田知義氏であり、知義氏は当時、陸軍属として北部軍司令部に勤めていた。

2 私文書群の入手経緯

収集方法:寄贈

入手先及び原蔵者:松田鶴彦氏

受入年月日:2017(平成29)年8月31日(8月15日申請)

3 私文書群の概要

  1. 資料総点数
    4点
  2. 資料年代
    1941(昭和16)~1945(昭和20)
  3. 資料内容
    資料の内容は、北部軍・北方軍・第五方面軍各司令部の庶務日誌のような資料を基に編纂された記録及び北部軍管区司令部編成経過の概要である。
  4. 私文書群に関連する主な地域
    石狩地方(札幌市)
  5. 私文書群に関連する主な主題
    軍事(陸軍)

4 利用条件

 特になし。

5 参考文献

  • 北海道編『新北海道史』第4巻通説3、北海道、1973(昭和48)年。
  • 北海道編『新北海道史』第5巻通説4、北海道、1975(昭和50)年。
  • 札幌市教育委員会編『新札幌市史』第4巻通史4、札幌市、1997(平成9)年。
  • 関秀志ほか『新版 北海道の歴史』下 近代・現代編、北海道新聞社、2006(平成18)年。
  • 西田秀子「旧陸軍『北部軍司令部』文書、62年目の出現」、札幌市総務局文化資料室編『札幌の歴史』第53号、札幌市、2007(平成19)年8月。

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