分類記号:B0-159
1 私文書群の作成者に関する情報
町村金五は、1900(明治33)年8月16日に町村金弥の五男として札幌で生まれた。
10歳の時に東京へ移転し、1924(大正13)年に東京帝国大学を卒業し、内務省に入省した。
その後、官選富山県知事、内務省警保局長、官選新潟県知事、警視総監を歴任して終戦を迎えた。
東京都次長に就任後、公職追放となった。
1952(昭和27)年から衆議院議員、1959(昭和34)年から北海道知事を3期12年務めた。
1971(昭和46)年から参議院議員となり、第二次田中内閣で自治大臣、北海道開発庁長官を務めた。
2 私文書群の入手経緯
収集方法:寄贈
入手先及び原蔵者:町村淳子氏(次男・町村信孝(元衆議院議長)の妻)
受入年月日:2017(平成29)年7月27日
3 私文書群の概要
(1) 資料総点数
137点
(3) 資料内容
資料の内容は概ね次のとおりである。
- 雑誌等
- 「歴代北海道庁幹部人名録」(「○」等の印の書き込みあり)
- 知事候補時代の特集記事が掲載されている雑誌(『時の人』)
- 町村道政に関する記事が掲載されている雑誌
(『北海評論』・『町村道政とその時代』・『さいはての民選知事』) - 漢詩、後援会パンフレット(参議院議員)
- 写真
- ア)知事時代
- ア 昭和41年ソ連他訪問
昭和41年9月1日に横浜を出航し、海路でソ連ナホトカに上陸。
その後、陸路や空路でハバロフスク、モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)とソ連国内を、そしてグルジア、ポーランド、デンマーク、オランダ等各国を歴訪して帰国した旅行に関する写真 - イ 知事時代・その他
- 赤レンガ庁舎内旧知事室や地方出張時の写真
- 会合での写真等
- ア 昭和41年ソ連他訪問
- イ)その他
- 『町村金五伝』刊行祝賀会での写真
- 国会開会式での記念写真等
- ア)知事時代
(4) 私文書群に関連する主な地域
石狩地方(札幌市)
(6) 補足:昭和41年9月のソ連訪問(視察)について
- 町村知事等の訪ソは、ソビエト対外友好文化連絡協会とソ日協会の招待によるもので、ソ連の国内視察が主な目的
- 日程は次のとおり
- 9月1日に横浜港を出発し、ソ連船バイカル号で3日16:00にナホトカに上陸し、次の要人と面会・会談を行った。
ドロズドフ極東漁業局長、クーゼンコ貿易省極東全権、クレオビン貿易省極東貿易事務所長 - 国際列車でハバロフスクへ移動し、次の要人と面会・会談を行った。
また、市内の日本人墓地へ墓参。
シウラノフハバロフスク州(副?)知事、ドームニンハバロフスク市長 - ハバロフスクから空路でドモデドボ空港に5日21:55着。
モスクワでの第1日目である6日10:30からソ日協会でレセプション、市内見学をし、13:00にソ連漁業省を訪問し、14:30から漁業省主催レセプション、19:00から日本大使館レセプションに出席。
23:20発の列車でレニングラードへ移動し、7日夜にモスクワに戻る。モスクワで面会・会談した要人は次のとおり。
カメンチエフ漁業省副大臣、クリコフ漁業省渉外総局長、グズネツオフ外務省副大臣、
スタリコフ外務省極東部長、セミチヤスノフ外国貿易省副大臣、
アーゾフ(外国貿易省?)東南アジア中近東貿易局次長、
ネステロス(ネストロフ?)全ソ商業(商工?)会議所会頭(ソ日協会長)、
パリエッキス(?)ソ連最高会議民族会議会長(?)、ミコヤンソ連最高会議幹部会員 - 13日にモスクワ空港を出発しワルシャワへ移動。
(注)この間にグルジア共和国、コペンハーゲン、アムステルダムにも立ち寄ったと思われる。 - ロンドンに立ち寄り、17日19:10に羽田空港へ、19日18:00に千歳空港へ到着。
- 9月1日に横浜港を出発し、ソ連船バイカル号で3日16:00にナホトカに上陸し、次の要人と面会・会談を行った。
- 要人との主な話題・議題は次のとおり
- 安全操業
- 沿岸貿易(「ソ連極東地方と日本との消費物資の交換に関する取りきめ」(昭和38年2月)に基づいて行われる一連の貿易)の促進(対象地域・品目の拡大等)
- 抑留漁民の早期釈放
- シベリア開発
- 領事館の北海道への誘致
4 利用条件
特になし。
5 参考文献
- 北海タイムス社編『町村金五伝』町村金五伝刊行会、1982(昭和57)年。
- 「北海タイムス」昭和41年9月18日朝刊・同年9月20日朝刊。
- 北海道総務部知事室道民課編『庁内だより』第30号、1966(昭和41)年8月。