太田 龍太郎

「大雪山国立公園」生みの親太田 龍太郎(おおた りょうたろう)
生没年:1863年~1935年 / 熊本県熊本市
生まれは熊本市京町。1910(明治43)年に3代目愛別村長として着任。愛別村の発展は鉄道の敷設に有りとして、着任後すぐに石狩川上流の探検や、続いて北見地方の踏査に赴くなど石北線の敷設に大きな影響を与えました。また、その探検の際に石狩川上流(現在の層雲峡)の景観に感銘を受け、その場所を「霊山碧水(れいざんへきすい)」と名づけ北海タイムス(現在の北海道新聞)にて紹介し、世間に初めて知られることとなりました。同時に、この優れた景観が失われぬよう、石狩川上流を中心とした十里四方について国により保護されるべきであることを強く訴えかけ、当時の国立公園運動の先駆となりました。そのことから、大雪山国立公園の生みの親とも呼ばれています。写真提供:笹川良江(直孫)

愛別町公民館図書室(愛別町総合センター内)
- 住所/上川郡愛別町字本町345番地1
- 電話番号/01658-6-5115
- 営業時期/通年
- 営業時間/平日:8:30〜19:00、土日祝:8:30〜17:00
- 定休日/12月31日〜1月3日
- アクセス/JR:旭川駅~愛別駅 約48分、道北バス:旭川~愛別 約50分、JR旭川駅から 車約45分、旭川空港から 車約45分
- 入館料/無料